2010年12月01日

押し入れではあってもね

詩編を読んでいる。いつもの夜。
何度も読んだ小池昌代の前書きをまた読む。何度目かな。


大人になるにしたがって、社会のなかでうまく生きるよう教育される人間は、その過程で、作品以前の、原始の「詩」に出会った記憶を、底のほうに沈め、押し込んでしまうのかもしれない。(小池昌代編著『通勤電車でよむ詩集』)


こういう箇所を何度も読んでしまう。教育される人間。その最たる場所に、今いることに苦笑い。押し入れは少し広くしなくちゃなと思う。広すぎてもいけないけれど、時に手足を伸ばせるものにしなくちゃ苦しいだけだ。

僕が子どもたちに、折を見て詩を書かせるのは、言葉へのこだわりという国語教育を越えて、潜在的にこういう理由があるの・・・かもしれないと、今、ふと思ったりする。




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Posted by sky1973629 at 23:57│Comments(0)本を読む
 
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