2008年04月13日
独りかもねん
沖縄の代表的防風林である福木。
あのいかにも強そうな幹。強靱な根。
そんな福木が枯れるのか??と思い始めて3ヶ月。
新築祝いにもらった福木がとうとう枯れた。
もうそろそろよな、と覚悟したのが、はて1ヶ月ほど前。
そして、この怒濤の1週間、灌水を怠った結果、臨終となったようだ。
ごめんね。プレゼントしてくれた兄弟たちにもあわせてごめん。
福木が枯れるとなると・・・何かを示唆しているようで怖い。(-_-)
なるようになるさ。あまり考えないでおこう。
乾電池を入れ替え、ネジを巻いた今日(土曜日)。
酒も身体に入れず、ゆたゆたと一日を過ごした。
ずいぶんと久しぶりに、私的な読書をしている。

高橋源一郎さんの『私生活』。エッセイである。
(この帯、いいよねー)。
高橋的な世界の切り取りであり、なかなかに面白い。けど、雑多
な感じもあり、集中できずにいる。まあ、この本は「プレイボーイ」
に連載された5年間に渡るエッセイだしね。しかたない。
でもでも、その序文は非常に心をわしづかみにされた。
どの作家も、考えることは一つしかないはずだ、とわたしは思っている。
その一。ほんとうのことをいいたい。
その二。でも、ほんとうのことはいわない。
それだけ?
そう。それだけである。(前掲書p.9)
もう少し展開する。
作家というものは、ほんとうのことをいいたい人の中で、なおかつ、ほ
んとうのことはいえない、と思う人なのだ、とわたしはいいたいのであ
る。(前掲書p.11)
「ほんとうのこと」をいおうとした瞬間、あなたは、なにもいえなくなる。
自分がいおうとしているのが、ほんとうに「ほんとうのこと」に値するの
か、と思うからである。他の人たちの、ちゃらちゃらした言葉と違って、
自分の言葉は、ほんとうのほんものだ、と思っていたあなたの心に、
ふと、迷いが生まれる。・・・(かなり省略)・・・作家とは、要するに、そ
のようなものなのだ。そのようにしか考えられない、ほとんどビョーキ
の人なのである。(前掲書p.13)
僕ら先生という仕事は、言葉を扱う仕事である。子どもに対し言
葉を投げかける仕事である。そして、その現場では、やはり同じ
ような目眩に襲われる。
僕が今しゃべっていることは(しゃべろうとしていることは)、本当
に「本当のこと」なのだろうか、と。
人生にはいろいろな道があり、いろいろな歩き方があり、いろい
ろな達成がある。それが現実の人間の姿である。そういう十色の
ものに対して、たかだか一教師の自分が、「これがベスト」と思っ
ているくらいのレベルで、子どもたちが歩み始めているこの豊穣
な世界を切り取ってしまっていいのか、と大袈裟に言えば、そん
な目眩に襲われる。の。
考えすぎよな。ほとんどビョーキである。
かと言って、作家になる力も当然にない。
この病癖を活かす教師の道、というのを模索するしかあるまいな
(あるのかいな)。
あのいかにも強そうな幹。強靱な根。
そんな福木が枯れるのか??と思い始めて3ヶ月。
新築祝いにもらった福木がとうとう枯れた。
もうそろそろよな、と覚悟したのが、はて1ヶ月ほど前。
そして、この怒濤の1週間、灌水を怠った結果、臨終となったようだ。
ごめんね。プレゼントしてくれた兄弟たちにもあわせてごめん。
福木が枯れるとなると・・・何かを示唆しているようで怖い。(-_-)
なるようになるさ。あまり考えないでおこう。
乾電池を入れ替え、ネジを巻いた今日(土曜日)。
酒も身体に入れず、ゆたゆたと一日を過ごした。
ずいぶんと久しぶりに、私的な読書をしている。
高橋源一郎さんの『私生活』。エッセイである。
(この帯、いいよねー)。
高橋的な世界の切り取りであり、なかなかに面白い。けど、雑多
な感じもあり、集中できずにいる。まあ、この本は「プレイボーイ」
に連載された5年間に渡るエッセイだしね。しかたない。
でもでも、その序文は非常に心をわしづかみにされた。
どの作家も、考えることは一つしかないはずだ、とわたしは思っている。
その一。ほんとうのことをいいたい。
その二。でも、ほんとうのことはいわない。
それだけ?
そう。それだけである。(前掲書p.9)
もう少し展開する。
作家というものは、ほんとうのことをいいたい人の中で、なおかつ、ほ
んとうのことはいえない、と思う人なのだ、とわたしはいいたいのであ
る。(前掲書p.11)
「ほんとうのこと」をいおうとした瞬間、あなたは、なにもいえなくなる。
自分がいおうとしているのが、ほんとうに「ほんとうのこと」に値するの
か、と思うからである。他の人たちの、ちゃらちゃらした言葉と違って、
自分の言葉は、ほんとうのほんものだ、と思っていたあなたの心に、
ふと、迷いが生まれる。・・・(かなり省略)・・・作家とは、要するに、そ
のようなものなのだ。そのようにしか考えられない、ほとんどビョーキ
の人なのである。(前掲書p.13)
僕ら先生という仕事は、言葉を扱う仕事である。子どもに対し言
葉を投げかける仕事である。そして、その現場では、やはり同じ
ような目眩に襲われる。
僕が今しゃべっていることは(しゃべろうとしていることは)、本当
に「本当のこと」なのだろうか、と。
人生にはいろいろな道があり、いろいろな歩き方があり、いろい
ろな達成がある。それが現実の人間の姿である。そういう十色の
ものに対して、たかだか一教師の自分が、「これがベスト」と思っ
ているくらいのレベルで、子どもたちが歩み始めているこの豊穣
な世界を切り取ってしまっていいのか、と大袈裟に言えば、そん
な目眩に襲われる。の。
考えすぎよな。ほとんどビョーキである。
かと言って、作家になる力も当然にない。
この病癖を活かす教師の道、というのを模索するしかあるまいな
(あるのかいな)。
Posted by sky1973629 at 01:21│Comments(0)
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