2008年02月18日
われお気楽な落ちこぼれなり
詩編を読んでいる。
水内喜久雄編『一編の詩が あなたを 強く抱きしめる 時がある』
(PHP研究所2007)
あるテーマに沿って寄せ集められた詩集は、
正直言って、あまり好きではない。
テーマがキャッチーでベタで浅薄でチープな場合が多いから
(偏見でごめんなさい)。
本編、編者の水内さんが付したテーマもなかなかベタであり、
ありきたりなものだ。でもね、なぜか最後の
「時がある」
という言葉に惹かれたの。
イエスでもノーでもない曖昧さ。
断言じゃない素直さ。
とてもとても詩が好きであろう水内さんが断言しない。
その謙虚さに、何だか誠実さを感じた。
詩というのは、一般的にではなく、特殊に、
つまり、読み手それぞれに独特に(その人なりに)響くもので
あるという、そういう態度に惹かれたのだと思う。
だから読んでいる。
そして、何編もある中で
やはり僕を掴まえたのは、茨木のり子「落ちこぼれ」。
その一節。
「落ちこぼれずに旨げに成ってむざむざ食われてなるものか」(前掲書pp.130-131)
僕ははっきり言って、この人怖い。僕も鈍才、つまるところは
落ちこぼれだけれど、怖い。
「華々しい意志」で「落ちこぼれ」になんか、そういう高尚なレ
ベルで落ちこぼれになんか、なれないし、なりたくない。
このルサンチマン(怨恨)に溢れた詩人、たぶん、見た目は
普通のおばあちゃんだったであろうこの人の詩は、僕はまだ
その詩のいくつしか知らないのだが、怖いのである。
遭遇するたびに怯える。
うまく言えないのだけれど、彼女、いつも泥の中で大声で叫
んでるように感じる。
この泥沼から出たい、とではない。
この泥沼でいいのだ、と叫んでいる。
泥沼上等!!下水上等!!下人上等!!何とでも呼べ!
私は生きてやる(怨み)!!って感じ。
茨木さんは女流詩人としてとても有名なのだけれど、
だからこんなこと書くと怒られそうなのだけれど、
ここまで開き直るには、茨の道があったのだろうけど、
茨どころではなく、修羅場があったのだろうけど、
僕には怖い。
ルサンチマンは、潜在的にはもちろん僕の原動力ではある
のかもしれないけれど、顕在的に怨みつらみを書くと、もう
僕は僕がダメになりそうなのである。
まだまだ学ばなければならないことは膨大だけど、
それでも、
僕はいつも迷って遅れを取っちゃう明るい鈍才のままでいい。
それが僕の、僕なりの
ささやかだけど、僕にとっては甚大な
「幸せになるための努力」なのです。
水内喜久雄編『一編の詩が あなたを 強く抱きしめる 時がある』
(PHP研究所2007)
あるテーマに沿って寄せ集められた詩集は、
正直言って、あまり好きではない。
テーマがキャッチーでベタで浅薄でチープな場合が多いから
(偏見でごめんなさい)。
本編、編者の水内さんが付したテーマもなかなかベタであり、
ありきたりなものだ。でもね、なぜか最後の
「時がある」
という言葉に惹かれたの。
イエスでもノーでもない曖昧さ。
断言じゃない素直さ。
とてもとても詩が好きであろう水内さんが断言しない。
その謙虚さに、何だか誠実さを感じた。
詩というのは、一般的にではなく、特殊に、
つまり、読み手それぞれに独特に(その人なりに)響くもので
あるという、そういう態度に惹かれたのだと思う。
だから読んでいる。
そして、何編もある中で
やはり僕を掴まえたのは、茨木のり子「落ちこぼれ」。
その一節。
「落ちこぼれずに旨げに成ってむざむざ食われてなるものか」(前掲書pp.130-131)
僕ははっきり言って、この人怖い。僕も鈍才、つまるところは
落ちこぼれだけれど、怖い。
「華々しい意志」で「落ちこぼれ」になんか、そういう高尚なレ
ベルで落ちこぼれになんか、なれないし、なりたくない。
このルサンチマン(怨恨)に溢れた詩人、たぶん、見た目は
普通のおばあちゃんだったであろうこの人の詩は、僕はまだ
その詩のいくつしか知らないのだが、怖いのである。
遭遇するたびに怯える。
うまく言えないのだけれど、彼女、いつも泥の中で大声で叫
んでるように感じる。
この泥沼から出たい、とではない。
この泥沼でいいのだ、と叫んでいる。
泥沼上等!!下水上等!!下人上等!!何とでも呼べ!
私は生きてやる(怨み)!!って感じ。
茨木さんは女流詩人としてとても有名なのだけれど、
だからこんなこと書くと怒られそうなのだけれど、
ここまで開き直るには、茨の道があったのだろうけど、
茨どころではなく、修羅場があったのだろうけど、
僕には怖い。
ルサンチマンは、潜在的にはもちろん僕の原動力ではある
のかもしれないけれど、顕在的に怨みつらみを書くと、もう
僕は僕がダメになりそうなのである。
まだまだ学ばなければならないことは膨大だけど、
それでも、
僕はいつも迷って遅れを取っちゃう明るい鈍才のままでいい。
それが僕の、僕なりの
ささやかだけど、僕にとっては甚大な
「幸せになるための努力」なのです。
Posted by sky1973629 at 21:58│Comments(0)
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