2011年05月25日

降りていくところ

生きるとは、たぶん判断することだと思う。他でもない自分が。
そのとき、そこで、どう判断し行動したか。。。その集積が人生かと。

なら、教育とはその判断をする材料をどれだけ提供できるかに係る。
僕たちがやっていることは、つまるとこそういうことなのかなと、ふと思う。

国語、算数、理科、社会・・・。いろいろ教えるよ、現場では。

でも僕らはそれを通して、社会通念というか倫理というか、そういうものを
教えているのだろう。もちろん、各論的なハンドリングは教えつつ、でもつ
まるところそうかなと。

そうこう考えてるとやっぱり突き当たる。


何よりもまず自分の生を基本的に肯定していること、それがあらゆる倫理性
の基盤であって、その逆ではない。だから、子供の教育において、第一にな
すべきことは、道徳を教えることではなく、人生が楽しいということを、つ
まり自己の生が根源において肯定されるべきものであることを、体に覚え込
ませてやることなのである

(永井均著『これがニーチェだ』講談社学術文庫)


永井先生がニーチェを通じて語ったこの言葉。僕は壁に突き当たるといつも、そういつもこの言葉をトレースする。

学校楽しいか?学級はどうだ?根拠などなくても、将来への、いやこれから
の自分への淡い期待は抱けてるかな。


僕はそう仕向ける先生になれてるかな。





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