2009年06月06日
原点?原典?古典?に還る
忙(せわ)しさも飽和状態に達すると、虚無が頭をもたげる。
目指すべきところが霞む。なぜ歩き続けるのか訳が分かんなくなる。
元の気を取り戻さなきゃ。
いやいや、元なんていう戻るべき場所よりもね、新たな拠り所を見つけ出して、
何より平静を取り戻さなきゃ。歩み進む意義を作り出さなきゃな。
こういう時、どっしりした古典みたいなものを読む。そういうものは流れる時間
がコンテンポラリーなそれよりも、明らかにゆったりしてる。だからこそ落ち着く。
落ち着いたとき、自分のやるべきことが少し見えたような気分になる。だから
読む。
夕べより、本棚から引っ張り出して読んでるのはこれ。

はま先生。やっぱ流れてる時間がずいぶんと違う。文章はこう始まる。
子どもを知るということ、子ども自身より深く知るということ、親をも越えて子ども
を知るということ、これがまず教師として第一のことでしょう。
大村はま著『新編 教室をいきいきと』(ちくま学芸文庫1994)
業界常套句の「児童理解」という言葉をはま先生は使わない。そこに心理学やカウ
ンセリング学などに傾倒しない現場教育者の信念を見る。親や、そして何よりも子ど
も本人をも凌駕して「知る」という意欲的態度に、教育者の責任と誇りを感じる。
目指すべきところが霞む。なぜ歩き続けるのか訳が分かんなくなる。
元の気を取り戻さなきゃ。
いやいや、元なんていう戻るべき場所よりもね、新たな拠り所を見つけ出して、
何より平静を取り戻さなきゃ。歩み進む意義を作り出さなきゃな。
こういう時、どっしりした古典みたいなものを読む。そういうものは流れる時間
がコンテンポラリーなそれよりも、明らかにゆったりしてる。だからこそ落ち着く。
落ち着いたとき、自分のやるべきことが少し見えたような気分になる。だから
読む。
夕べより、本棚から引っ張り出して読んでるのはこれ。
はま先生。やっぱ流れてる時間がずいぶんと違う。文章はこう始まる。
子どもを知るということ、子ども自身より深く知るということ、親をも越えて子ども
を知るということ、これがまず教師として第一のことでしょう。
大村はま著『新編 教室をいきいきと』(ちくま学芸文庫1994)
業界常套句の「児童理解」という言葉をはま先生は使わない。そこに心理学やカウ
ンセリング学などに傾倒しない現場教育者の信念を見る。親や、そして何よりも子ど
も本人をも凌駕して「知る」という意欲的態度に、教育者の責任と誇りを感じる。
Posted by sky1973629 at 10:47│Comments(1)
│教えること育てること
この記事へのコメント
こんばんは~セイキさん!
おひさしぶりです。
ずいぶん、色々と忙しい日々と
責任を任されている日々のようですね~
セイキさんの悲鳴と共に、「どうにかなる!」という
開き直った姿勢が見えるような気がします。
お疲れさまです!
「すべてに感謝!」と思えるようになれば、
言うこと無しですね~
さて、今日のブログで登場していらっしゃる、大村はま先生は、
私も大ファンで、時々ブログにも書いてきました。
すばらしい教育者だと思います。
ただ、心理学やカウンセリングについて、セイキさんの認識(捉え方)が
教育を考える上で、片寄ったような分野という感じを持っていらっしゃるのか、あまり認めたくない分野なのかなぁ~と思えてしまい、少々頭をひねっています。
お忙しい折でしょうから、お返事は無理なさらないでよろしいですよ~いつか、ユンタクできる日にコメントをいただければと思います。
では、ファイトで乗り切ってくださいね~。もうすぐ夏休みです!
おひさしぶりです。
ずいぶん、色々と忙しい日々と
責任を任されている日々のようですね~
セイキさんの悲鳴と共に、「どうにかなる!」という
開き直った姿勢が見えるような気がします。
お疲れさまです!
「すべてに感謝!」と思えるようになれば、
言うこと無しですね~
さて、今日のブログで登場していらっしゃる、大村はま先生は、
私も大ファンで、時々ブログにも書いてきました。
すばらしい教育者だと思います。
ただ、心理学やカウンセリングについて、セイキさんの認識(捉え方)が
教育を考える上で、片寄ったような分野という感じを持っていらっしゃるのか、あまり認めたくない分野なのかなぁ~と思えてしまい、少々頭をひねっています。
お忙しい折でしょうから、お返事は無理なさらないでよろしいですよ~いつか、ユンタクできる日にコメントをいただければと思います。
では、ファイトで乗り切ってくださいね~。もうすぐ夏休みです!
Posted by うえじょう さくら
at 2009年06月28日 23:14

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