2008年03月28日
地べたからの風景
地べたに座って黙々と作業をする。
一日1時間。二日目。
何って。ホウキの修理。
あの教室ボウキです。T字のやつ。
ネジがはずれやすく、壊れやすい。
でもね、上部と下部、使えるもの同士をドッキングさせると、
また1年間くらい使えるの。リユース。
でもさ、そのそれほど難しくない作業をやる時間が、というよ
りも、些末なことにまで届きうる心のゆとりが先生方にはな
かなか見いだせない。
もちろん、かつての僕にもそのゆとりなぞ、他よりも皆無だ
った。捨てまくってた。
でもね、もったいないよね。単純に考えて。
そしてそれ以上に、そうやって「直して使う」っていう地味~
な姿、ぜひ子どもに見せたい。ダイソー的な時代だからなお
さら。さ。
そう思い立って以来、休みにはいるとほうきを修理している。
時間は、、、ないと言えばない。けど、あると言えばある。と
いう職業。なので、他の雑務を寸暇を惜しみ片づけて、その
隙間時間に黙々と行う。
せっかくやるので、自分だけのじゃもったいないので、職員
全員に声をかける。全29学級。
今回はゆうに50本を超えている(涙)。100本近いかも。
自慢じゃないけど、人前で話しをするよりも、黙々と作業をす
ることが好きな人間(先生なのに)。なので、結構楽しみなが
らやってる。るんるん。
でも、そこでフト思う。
僕の目の前をゆうに30人は行き来しているけど、「ごくろう
さま~」「えらいね~」「すごいね~」とは言われるけども、
誰も手伝おうか?と聞いてこない。
中には、「こんな仕事、学校大工にさせたらいいよ。優先順
位考えてやらないと・・・もたないよ~」と、笑顔なのだけど
半ば説教までする人もいる。
けど、誰も手伝おうか?と聞いてこない。
いやまあ、手伝ってもらうことを期待してやってる訳ではまっ
たくないのですよ。ありがたがられることにも別に無頓着で
す。先述したように、単にもったいないし、そうやってモノを大
事に使う姿勢を子どもたちに見せたい、という限りなく自己
満足を志向してやってるだけ。
でも、誰も手を貸してくれない現実というのは、やっぱりとて
も寂しい。薄々気づいているのだけれど、実感すると結構に
悲しい。
これ、単純な同僚批判だと思ってほしくない。僕は同僚に恵
まれている。彼、彼女らは思いやりがあり、正義の人であり、
愚痴をこぼさない。笑顔で与えられた仕事に従事する純朴な
方々である。
そういう彼らが手を貸さないのである。というよりも、貸せる
だけのリソースがない、と言った方が適切なのかもしれない。
僕らの仕事は学習指導にあり、生活指導にあり、学級経営
にあり、子らの人格の完成にある。
しかし、その仕事は、日常的で自明的なあらゆるものに支え
られて成り立っている。これはどの仕事だって同じである。
些細で地味なものごとが上げた底の上に、あらゆる仕事は
成り立っている。くだんのホウキだって、そういう上げ底の重
要な一員である、といえば、そうである。
朝の渋滞に焦りつつ学校に向かうとき、ふとパンクで困って
いる人を見かける。止まろうかとも思うけど、さあとりかかれ!
と脅迫的に呼びつける仕事のことを考えて素通りしてしまう。
そのときの後味の悪さを残しつつ、また次も同様に同じく素
通り。今度はそこでロスする時間のことを考えて合理的にス
ルー。こんな時代さ、どうせJAFを呼んでるから僕の出番は
なし、と勝手な正論まで付与して通り過ぎる。
他でもない、僕のこと。
地べたに座って見えたもの。
それは殺伐とした人々ではなく、僕らを殺伐とさせる何かの
陰である。その陰がやんわりと、でも確実に僕らを席巻しつ
つある、ように感じる。
モモでも読んで、もう少し考えてみる。とする。
ちゃんちゃん
一日1時間。二日目。
何って。ホウキの修理。
あの教室ボウキです。T字のやつ。
ネジがはずれやすく、壊れやすい。
でもね、上部と下部、使えるもの同士をドッキングさせると、
また1年間くらい使えるの。リユース。
でもさ、そのそれほど難しくない作業をやる時間が、というよ
りも、些末なことにまで届きうる心のゆとりが先生方にはな
かなか見いだせない。
もちろん、かつての僕にもそのゆとりなぞ、他よりも皆無だ
った。捨てまくってた。
でもね、もったいないよね。単純に考えて。
そしてそれ以上に、そうやって「直して使う」っていう地味~
な姿、ぜひ子どもに見せたい。ダイソー的な時代だからなお
さら。さ。
そう思い立って以来、休みにはいるとほうきを修理している。
時間は、、、ないと言えばない。けど、あると言えばある。と
いう職業。なので、他の雑務を寸暇を惜しみ片づけて、その
隙間時間に黙々と行う。
せっかくやるので、自分だけのじゃもったいないので、職員
全員に声をかける。全29学級。
今回はゆうに50本を超えている(涙)。100本近いかも。
自慢じゃないけど、人前で話しをするよりも、黙々と作業をす
ることが好きな人間(先生なのに)。なので、結構楽しみなが
らやってる。るんるん。
でも、そこでフト思う。
僕の目の前をゆうに30人は行き来しているけど、「ごくろう
さま~」「えらいね~」「すごいね~」とは言われるけども、
誰も手伝おうか?と聞いてこない。
中には、「こんな仕事、学校大工にさせたらいいよ。優先順
位考えてやらないと・・・もたないよ~」と、笑顔なのだけど
半ば説教までする人もいる。
けど、誰も手伝おうか?と聞いてこない。
いやまあ、手伝ってもらうことを期待してやってる訳ではまっ
たくないのですよ。ありがたがられることにも別に無頓着で
す。先述したように、単にもったいないし、そうやってモノを大
事に使う姿勢を子どもたちに見せたい、という限りなく自己
満足を志向してやってるだけ。
でも、誰も手を貸してくれない現実というのは、やっぱりとて
も寂しい。薄々気づいているのだけれど、実感すると結構に
悲しい。
これ、単純な同僚批判だと思ってほしくない。僕は同僚に恵
まれている。彼、彼女らは思いやりがあり、正義の人であり、
愚痴をこぼさない。笑顔で与えられた仕事に従事する純朴な
方々である。
そういう彼らが手を貸さないのである。というよりも、貸せる
だけのリソースがない、と言った方が適切なのかもしれない。
僕らの仕事は学習指導にあり、生活指導にあり、学級経営
にあり、子らの人格の完成にある。
しかし、その仕事は、日常的で自明的なあらゆるものに支え
られて成り立っている。これはどの仕事だって同じである。
些細で地味なものごとが上げた底の上に、あらゆる仕事は
成り立っている。くだんのホウキだって、そういう上げ底の重
要な一員である、といえば、そうである。
朝の渋滞に焦りつつ学校に向かうとき、ふとパンクで困って
いる人を見かける。止まろうかとも思うけど、さあとりかかれ!
と脅迫的に呼びつける仕事のことを考えて素通りしてしまう。
そのときの後味の悪さを残しつつ、また次も同様に同じく素
通り。今度はそこでロスする時間のことを考えて合理的にス
ルー。こんな時代さ、どうせJAFを呼んでるから僕の出番は
なし、と勝手な正論まで付与して通り過ぎる。
他でもない、僕のこと。
地べたに座って見えたもの。
それは殺伐とした人々ではなく、僕らを殺伐とさせる何かの
陰である。その陰がやんわりと、でも確実に僕らを席巻しつ
つある、ように感じる。
モモでも読んで、もう少し考えてみる。とする。
ちゃんちゃん
Posted by sky1973629 at 21:07│Comments(0)
│よのなか