2008年03月01日

ケイチツ・カンワキューダイ(みんなで子どもを育てるのよ)

オフレコであるが、
僕は地域にある某学習塾の先生と、秘密裏に情報交換を
している。それもかなり具体的に。


むろん、こちらは職務上の守秘義務というものがあり、あち
らは父母子との信頼関係で契約が成立している手前、それ
をうまくかわしつつ、の情報交換である。


でも、うちの37名の子のうちの、何名かがそこの学習塾の
お世話になっているので、けっこうネタは具体的である。だ
から、子どもたちにも親にもその交流について、そしてそこ
から得た情報について、口外したことはない。お互い、その
約束である。


でも、僕はこのことを、悪いことだとは思っていない。という
よりも、お互いに自分の職務を自覚し、「子どもを育てる」と
いう常識的な見識さえわきまえていれば、このような情報交
換はもっと積極的に、それも公然にやるべきだと思っている。



率直に言って、僕たちの仕事は、そろばんや公文や学研や、
その他諸々の学習塾の努力があって円滑に進んでいる。お
そらく、その事実をどこの誰も拒むことはできないのではない
か、と思ってる。

もちろん、僕は僕の授業と、地味な家庭学習の継続で、その
子の学力が保証されることを企図して、授業を組み立ててい
るつもりである。その自負を妄想としないためにも、週末、わ
が息子らを捨ててでも、TOSSサークルに通い、模擬授業を
繰り返し、技量検定試験も受けているのである。それは、僕
たち公教育に携わるものの、常識的な態度である。納税者へ
の義務であり、与えられた使命である。


しかし、だがしかしなのである。そうは言えども40名近くの子
らを抱える手前、学習塾に通う子の存在は、われわれにとって
希望の光である。何よりも授業が円滑に進み、活性化され、新
たな展開への動因ともなるのである、彼らの存在が。しかるに、
結果論として、僕は学習塾にお世話になっているのである。


というふうに考えれば、僕らは実はチームになるべきなのであ
る。お互いに支え合うというチーム。


うちの子どもたちが、全体的にこういう学習内容が弱い、という
事実をお互いに確認できれば、双方からその手当てを意識的
に行うことができる。単純計算で、効果は2倍なのである(その
塾に通ってる子はね)。
また、こちらはここはできてると思っていても、あちらは「案外で
きてませんよ」と言えば、それは反省材料ともなる。もちろん、
そういう点は、公教育教師のプライドとして、手当てする。それ
は向こうだって同様である。塾講としてのプライドで手当てする
だろう。


どうです?こんな良いことってないんじゃないでしょうか?子ども
にとって。親にとって。ね。
僕らは決して、敵ではない、と僕は強く思う(もちろん、敵となら
ざるを得ない塾講というのは世にごまんといますが)。


子らを金づるや自らの栄光の材料とみなすならば、もちろん僕ら
は敵同士である。永遠のカタキである。
でも、子らを「育てる」という対象でみる、教育的常識を共有でき
るのならば、僕らは同志なのである。


どうでしょ。こんな考え。
間違っていれば、ぜひご教示願います。
(また、クビに近くなったかもと、チムドンドンドン)



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この記事へのコメント
こんにちは^^
ご訪問ありがとうございましたm。。m


公立の学校の先生と地域の学習塾の先生が情報交換できるってとても素敵だと思います。
残念ながら、私にはつてもコネもなく情報交換できません;_;


なぜ素敵だと思うかというと、子どもにはいくつもの顔があるからです。私の教室のモットーでもある「意欲を育てる」ですが、その子の持つ性格をしっかり把握していないと難しいのです。しかし、子どもは色んな顔でオトナに接します。あるところでは優等生のように、あるところではジャリンコのように、あるところでは泣き虫のように。

家庭や他の公共施設でどのような振る舞いをしているかを知ることで、またどのように学習へ取り組んでいるか、どの教科に優れているのか、諸々を知ることで多方面から知的刺激を与えることが出来ると思います。

刺激された子は、学習の必要性を感じで自分で這い上がろうとしてくれるものです。(あてはまらない子もいますが、大抵の子どもはそうです。)


あと、家庭環境がすさんでいる子にいくら勉強を教えても吸収率がよくありません。そういう子には学習させる前に愛情をた~っぷりと与える必要があるから、そういう意味でも「先生」という立場で情報交換をして、子どもをサポートすることはとても素晴らしいことだと思います♪
Posted by ミユミユ at 2008年03月01日 12:22
ご丁寧なレス、嬉しいです。

子どもにはいくつもの顔、確かに確かにありますねー。
そう考えると、やっぱ子どもの成長(意欲の喚起)って、単純ではないですよね。ホント、みんなで知恵を出し合い、連携して子どもを育てること、とても大切だと思います。

ただ、子どもと学校外で会ったりすると、時に「ゲッ!」(特に高学年)とされることが多々あります(涙)。そういうの見るにつけ、違う顔を出せる場所というのは、子どもにとって大事なものなのよな、とも思うのも事実。考えてみると僕たちおとなでもそういうことって、あります。よ。特に僕は。(@_@)

ということで、塾の先生との交流や、部活の指導者との交流や、はたまたカードゲーム屋の兄ちゃんとの交流なども、僕は子どもの手前では結構こっそりやっています(親の手前は公然でよろし)。

子どもの居場所には、土足では入らない。これ不肖・軟派生徒指導主任コメスのポリシーなのでもあります。

これからもこっそり?交流よろしく願います。ね。
Posted by コメスセイキコメスセイキ at 2008年03月02日 06:41
 
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