2008年02月02日

何よりも僕のための最終講義

「臨床で鍛えなさい」と言われたのは6年前。
医術ではないですよ。教育学のこと。

6年前、ひょんなきっかけで非常勤講師の職にありついた(無職だった当時のことを思えば
「ありついた」でよろしい)。

ワクワクしたのもつかの間。僕に用意された箱は「道徳教育」!
あまりにも現実的。僕の得意とした空理空論が通用しない硬い箱。

背筋がバリバリに冷えカサカサしたのをよく覚えてる。道徳教育の定石をしゃべりながら、
同時にそれを拒否するような自家撞着な講義。何より苦労したのは学生さんだったでしょう。
すみません、そしてありがとう。

その6年間の苦行が、今週でピリオド。
でもさ、おもしろくないのは、こっちが今期で辞めると胸に秘めたとたん、向こうから任用終了
の通知。まあ辞める気でいたからいいけどさ!って。全部言い訳に聞こえるじゃないか!もう
少しかっこよく辞めさせてよ。あー情けない。

で、最後の講義で引用したのが永井均の言葉。

「何よりもまず自分の生を基本的に肯定していること、それがあらゆる倫理性の基盤であって、
その逆ではない。/だから、子供の教育において、第一になすべきことは、道徳を教えること
ではなく、人生が楽しいということを、つまり自己の生が根源において肯定されるべきものであ
ることを、体に覚え込ませてやることなのである」(永井均著『これがニーチェだ』講談社現代新
書1998


これ最高でしょ。道徳教育の方法論について論じてきたこれまでの自分の努力を、ぜーんぶ水
の泡にする極論。でも、ほんとだと思うな。最高な指導案も、絶妙な発問も、力強い資料も、突
き詰めれば、それをやる担任と子どもとの人間関係に還元される。逆はあり得ない。徳育的テク
ニックが先じゃあ、決してない。

コメスなら話せる。コメスなら分かってくれる。コメスなら聞ける・・・・。まず何よりも「コメスなら」と
思われる教師にならなくちゃな。生きる楽しさ、喜びを提供できる存在にならなくちゃな。そこには
見ため良い徳育は存在しないが、何よりも大事なものが伏在している。

「子どもを道徳的な言説が通じるステージにあげる、そんな教師になれ!」と叫び、颯爽と教壇を
降りたのでした(もちろん、クビになったのは言えませんでした・・・涙)。みんなバイバイ。



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