2009年02月11日
文字を書くこと
今、文章をまさに書いてるのだけど、正確には「打ってる」。打刻。
97年から本格的にパソコンを使い始めた僕は、もうずいぶんとワープロにアディクトされている。少々長めのまとまった文章を書くときなど、白い紙を前にするともうまったく文章が出てこない、なんてことも多々ある。
でもそんな僕が、最近はノートによく書いてる。赤と黒の二色のペンで。
まとまったものではなく、単に走り書き的なものが多い。どちらかというと授業のことや子どもたちへ話すことを速記的にどんどん書くことが多くなった。まとまってはいないけれど、しばしば5ページほどの量を書くこともある。なんでだろ。
一つに、忙しくなったことが挙げられる。この仕事、キャリアを積むほどに現場から離れてゆっくりモニタに向かう時間が限られてきてる。どこでもすぐに書き留めることができるのは、やっぱりノートや紙片。「ひらめき」「至急」というその領域においてPCの出番はほぼない。
でもノートへのそれが継続されていることを考えると、二つめの理由があることに気づく。それは考えたことをダイナミックに編集できることだと思う。それは左から右へ、上から下へと形式的にカーソルが動くワープロではなかなかできないこと。いや、やろうと思うとできるのだろうけど、瞬間的な編集操作は僕の技量では不可能。だからノートなのだろうと・・・思う。ある瞬間的なひらめきが、これからやろうとする物事を一変させること、そして時にそのひらめき物事の正否を決定づけることを日々実感すればこそ、やはり形式的なツールは疎ましい。その点で、ノートとペンはすこぶる有能。まあ当たり前と言えば当たり前のこと。
なんて考えてたら、平川さんのこんな文章。
http://plaza.rakuten.co.jp/hirakawadesu/diary/200902090000/
この合理的な社会で、無用の長物の用を実感できる人になりたい。

最近の1~2週間の読書本。ノンフィクからフィクへ、フィクからノンフィクへと忙しい。勝負をしたり逃げたりと・・・混乱している僕が顕わ。継続して戦う根性か、うまく橋を渡るバランス感覚が欲しいなあ。相も変わらず鈍才(>_<)。
97年から本格的にパソコンを使い始めた僕は、もうずいぶんとワープロにアディクトされている。少々長めのまとまった文章を書くときなど、白い紙を前にするともうまったく文章が出てこない、なんてことも多々ある。
でもそんな僕が、最近はノートによく書いてる。赤と黒の二色のペンで。
まとまったものではなく、単に走り書き的なものが多い。どちらかというと授業のことや子どもたちへ話すことを速記的にどんどん書くことが多くなった。まとまってはいないけれど、しばしば5ページほどの量を書くこともある。なんでだろ。
一つに、忙しくなったことが挙げられる。この仕事、キャリアを積むほどに現場から離れてゆっくりモニタに向かう時間が限られてきてる。どこでもすぐに書き留めることができるのは、やっぱりノートや紙片。「ひらめき」「至急」というその領域においてPCの出番はほぼない。
でもノートへのそれが継続されていることを考えると、二つめの理由があることに気づく。それは考えたことをダイナミックに編集できることだと思う。それは左から右へ、上から下へと形式的にカーソルが動くワープロではなかなかできないこと。いや、やろうと思うとできるのだろうけど、瞬間的な編集操作は僕の技量では不可能。だからノートなのだろうと・・・思う。ある瞬間的なひらめきが、これからやろうとする物事を一変させること、そして時にそのひらめき物事の正否を決定づけることを日々実感すればこそ、やはり形式的なツールは疎ましい。その点で、ノートとペンはすこぶる有能。まあ当たり前と言えば当たり前のこと。
なんて考えてたら、平川さんのこんな文章。
http://plaza.rakuten.co.jp/hirakawadesu/diary/200902090000/
この合理的な社会で、無用の長物の用を実感できる人になりたい。
最近の1~2週間の読書本。ノンフィクからフィクへ、フィクからノンフィクへと忙しい。勝負をしたり逃げたりと・・・混乱している僕が顕わ。継続して戦う根性か、うまく橋を渡るバランス感覚が欲しいなあ。相も変わらず鈍才(>_<)。
Posted by sky1973629 at 00:50│Comments(0)
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