2008年06月28日
牛的に・・・
今週はほとんどブログを書けなかった。単に忙しかったから。
でも、忙殺していた・・・というほどのものでもない。思ったよりも隙間はあった。では何をしていたかというと、牛さんの詩を何度も読んでた。このブログを通して知ったとある方のブログで紹介された高村光太郎さんの詩、「牛」を(キャンディボールさんありがと)。
とても長い長い詩。その一部にガシッと掴まれる。
牛は急ぐ事をしない
牛は力一ぱいに地面を頼つて行く
自分を載せてゐる自然の力を信じきつて行く
ひと足、ひと足、牛は自分の道を味はつて行く
ふみ出す足は必然だ
うはの空の事ではない
是(ぜ)でも非(ひ)でも
出さないではゐられない足を出す
牛だ
出したが最後
牛は後(あと)へはかへらない
足が地面へめり込んでもかへらない
そしてやつぱり牛はのろのろと歩く
時を同じくして、こんな本も読んでた。

カルロス・カスタネダの『未知の次元』。北メキシコのヤキ・インディオに伝わる呪術の世界にどっぷりと入っていくある社会学者のフィールドワーク録(まったくの作り話だ!とも言われているけれど)。その中で師匠ドン・ファンがカスタネダに伝える。
「それなら何が問題なのだろうか?」と、わたしはたずねた。
彼はどう答えたらよいか考えているようだった。
「重要なのは、戦士(呪術師のこと・・・コメス)は誤たないということだ」と、彼はやっと言った。
「だが、それも言葉の綾にすぎない。・・・・お前はもう呪術をある程度は身につけたのだから、これからは重要なすべての事柄の根本について教える時期だと思う。そこで、戦士にとってかんじんなのは、自己の全体性を把握することだと言っておこう」。
誤らない人間などいない。人間は間違いだらけだ。
ここでドン・ファンが言いたいのは、是非にこだわらずそれらをすべて含めてお前の全体性なのだ、ということだろう。それをしっかり理解しろ、ということなのだ。
必然の歩みとして、踏み出した一歩を是非に関わらず受け入れていく。自分に謙虚に誠実に。そう考えて歩き始めた一週間でありました。ちゃんちゃん。
ついでにドン・ファンの言葉をもう一つ。
「過去の出来事にこだわりすぎるのは感心しない。それに触れることもあるが、あくまで参考のためだ」
でも、忙殺していた・・・というほどのものでもない。思ったよりも隙間はあった。では何をしていたかというと、牛さんの詩を何度も読んでた。このブログを通して知ったとある方のブログで紹介された高村光太郎さんの詩、「牛」を(キャンディボールさんありがと)。
とても長い長い詩。その一部にガシッと掴まれる。
牛は急ぐ事をしない
牛は力一ぱいに地面を頼つて行く
自分を載せてゐる自然の力を信じきつて行く
ひと足、ひと足、牛は自分の道を味はつて行く
ふみ出す足は必然だ
うはの空の事ではない
是(ぜ)でも非(ひ)でも
出さないではゐられない足を出す
牛だ
出したが最後
牛は後(あと)へはかへらない
足が地面へめり込んでもかへらない
そしてやつぱり牛はのろのろと歩く
時を同じくして、こんな本も読んでた。
カルロス・カスタネダの『未知の次元』。北メキシコのヤキ・インディオに伝わる呪術の世界にどっぷりと入っていくある社会学者のフィールドワーク録(まったくの作り話だ!とも言われているけれど)。その中で師匠ドン・ファンがカスタネダに伝える。
「それなら何が問題なのだろうか?」と、わたしはたずねた。
彼はどう答えたらよいか考えているようだった。
「重要なのは、戦士(呪術師のこと・・・コメス)は誤たないということだ」と、彼はやっと言った。
「だが、それも言葉の綾にすぎない。・・・・お前はもう呪術をある程度は身につけたのだから、これからは重要なすべての事柄の根本について教える時期だと思う。そこで、戦士にとってかんじんなのは、自己の全体性を把握することだと言っておこう」。
誤らない人間などいない。人間は間違いだらけだ。
ここでドン・ファンが言いたいのは、是非にこだわらずそれらをすべて含めてお前の全体性なのだ、ということだろう。それをしっかり理解しろ、ということなのだ。
必然の歩みとして、踏み出した一歩を是非に関わらず受け入れていく。自分に謙虚に誠実に。そう考えて歩き始めた一週間でありました。ちゃんちゃん。
ついでにドン・ファンの言葉をもう一つ。
「過去の出来事にこだわりすぎるのは感心しない。それに触れることもあるが、あくまで参考のためだ」
Posted by sky1973629 at 10:24│Comments(2)
│日常
この記事へのコメント
ブログの記事のことを書いて頂いて、ありがとうございます
「牛」に関しては、一部のみを抜粋して教科書に掲載していた時期(小学校)
があったのではないかと思います(抜粋はどうかと思いますが…)
それだけ理解の幅があるというか、懐の深い詩だと考えています
もちろんぼくも、ガシッと掴まれた一人です(掲載したのだから当然です・笑)
なにはともあれ、何かを感じて頂いたようで、ぼくはうれしいです
「牛」に関しては、一部のみを抜粋して教科書に掲載していた時期(小学校)
があったのではないかと思います(抜粋はどうかと思いますが…)
それだけ理解の幅があるというか、懐の深い詩だと考えています
もちろんぼくも、ガシッと掴まれた一人です(掲載したのだから当然です・笑)
なにはともあれ、何かを感じて頂いたようで、ぼくはうれしいです
Posted by candyball
at 2008年06月29日 21:38

candyballさん>
コメントありがとうございます。突然ブログに名前載せちゃってごめんなさい。「牛」。何度読んでもいいですね。そうですか、教科書に載ってましたか。僕がこの詩にあったのは、えーっと、題名忘れてしまいましたが、「教室で読みたい詩」というような詩集でした。すごっくながい!!と思ったのが初発ですが、んー、すごい含蓄のある詩だー、なんて読みながら思ってました。そして再開。久しぶりに読むと違うんですね、掴まれるとこが・・・。さらにこの詩が好きになりました。西幾論も興味深く拝見していますよ。お休みに入るなんて・・・ホントに残念です。
コメントありがとうございます。突然ブログに名前載せちゃってごめんなさい。「牛」。何度読んでもいいですね。そうですか、教科書に載ってましたか。僕がこの詩にあったのは、えーっと、題名忘れてしまいましたが、「教室で読みたい詩」というような詩集でした。すごっくながい!!と思ったのが初発ですが、んー、すごい含蓄のある詩だー、なんて読みながら思ってました。そして再開。久しぶりに読むと違うんですね、掴まれるとこが・・・。さらにこの詩が好きになりました。西幾論も興味深く拝見していますよ。お休みに入るなんて・・・ホントに残念です。
Posted by コメスセイキ at 2008年07月01日 21:36