2008年06月10日

続「書く」ということ

(これは☆ぽろりん☆さんへの返信でもあります)


「書く」ことについて6月7日に書いた。けどもう少し考えを進めてみる。
コメントをもらったときに思いたち、ぐるぐると考えてた。ぐるぐると考えて着地点をなかなか見つけられないのが、僕の鈍才的性癖。

「書く」ことや意見することは、つまり自己表現である。
自分を表に出すということは、その自分を周知のものにすること。公開すること。

そうすると、もちろん何か言われることがある。他人様からね。

僕はずーっと、それを拒んできたように思う。理由は簡単。傷つくから。ガラスのコメスはすぐに木っ端みじんこになってしまうのである。丸刈りで生徒指導担当で、顔はへらへらしてるけど、けっこう家に帰っては、一人涙を堪えてタオルを噛みしめてる(笑)。

まあ、スーパー末っ子で甘えてきたねと言われれば、「そうだ!!」と断言するより他にない。それ事実。だからかな、傷つきやすいの。んで、自分を表出するのをうまく回避して、いろんな理由をつけて、いろんな飾りをつけて、こっそりと秘密裏に自分というものを提出していた。でも不満はたらたらなのね、周囲に対して。「バカじゃないの?」なんて、「他人を見下す若者たち」(by速水敏彦)の一員として、文句ばっか並べ立てて「オレは賢いんだぞー」みたいな厚顔無恥で歩き回っていたのでございます。


でもね、歳かな。そんな自分がバカらしくなってしまった。自分の価値を疑い始めた。いやいや歳じゃないぞ。たぶんその転機は、どんなに稚拙でも未熟でも自分の考えを表出して生きる、いわばたたき上げの人との出逢いがいくつかあったからかな。「かっこいいな」って素直に思えた瞬間がいくつかあった。そういう人間になりたい!!だから、傷つくことばかり恐れて自己表現を避けて生きる、そればかりか体の良い批判語ばかり並べ立てる自分が嫌になったのだと思う。


人生も折り返し地点。「自分を素直に表現して生きていこう」と考え始めたとき、昔読んだ文章に再び出逢った。ほこりをかぶった家の本棚で。

加藤典洋著『戦後を戦後以後、考える~ノン・モラルからの出発とは』(岩波ブックレットno.452)


ずいぶん前に何度も読んだ本。なのにとても感動した。涙が出た。自分から見えて相手からは見えない場所、つまりシューティングスポット(狙撃地点)に立ってモノを考えてもダメだ。誰からでも見えて、みんなに声が届く場所、そうハチ公前(もうないかも)みたいな場所に立って叫ばなきゃ・・・な。大きな座布団を広げて、そのときはそう強く思った。

そういう場所に今、立てているかと言えば「ノー」。まだまだ批判を逃げている。八方美人はやめられない。でもそこに向けてささやかな勇気は重ねていきたい。その勇気を表現する僕のツールこそ、「書く」こと。くだらなく他愛のない内容の底の底の底の底くらいに、このような熱い思いは流れている、のさ。イヒヒ。


☆ぽろりん☆さん

>他人に言われて気付いた事がたくさんあります。
>他人に言われなかったら気付かない。
>言われて気付いて人って成長していくとぽろりんは思います。
>書いて書いて人に今の自分の気持ちを伝えるって良い事なんじゃないかな〜

僕もホントにホントにいつもそう実感してます。周りの人がいなければ僕の僅かな成長もなかった。いつもコメントありがとね。



Posted by sky1973629 at 23:17│Comments(2)
この記事へのコメント
こちらこそいつも楽しく読ませて頂いてます。

コスメさんが今思っている事

感じている事を読んでいると共感できるの^^

いつもコスメさんから教えられてますよ^^

コスメさんこちらこそ

ありがとう(^.^)

これからもよろしくお願いします^^

仲良くしてくださいね^^
Posted by ☆ぽろりん☆ at 2008年06月11日 13:53
☆ぽろりん☆さん>
嬉しいな。ありがと。共感してくれる人がいるから僕は僕で続けられるのです。こちらこそ仲良くどうぞ。これからも書きますよ。
Posted by コメスセイキコメスセイキ at 2008年06月11日 23:42
 
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