2008年06月07日

「書く」ということ

気が付くと、なんと投稿も100回を越えた。よう書いたな(汗)。


軽やかにステップを踏めない人間だからこそ、書けることは山ほどあると思っていたが、顧みると、同じことばかりグルグルと書き連ねている感が否めない(>_<)。でも、自分にとってはそれは必要なことだった、とも思ってる。単なるはけ口などではないのよ。人生の折り返し。あえて積極的に表現することが、自分にとってはどうしても必要だと、強く強く感じたからに他ならない。


僕にとって、自分を表現することは、比類のない「癒し」である。


書いてみて痛感するのだけれど、僕の場合、「癒し」っていうのはメディアで流布されているようなそれとはちと違う。風景が良かった、空気がおいしい、身体がほぐされた、温かみを感じた・・・・。それって僕にとっては「癒し」じゃなく、「安らぎ」である。「癒し」というのは「治癒」のことである。自分の身体にある傷が癒される。もともとあったものが欠落し、それを埋める作業。つまるところ、受動的なそれではなく能動的なそれこそ、僕にとっては「癒し」である。

自分の存在意義を感じることこそ、僕にとっては、自己治癒に他ならない。他人にとっては大したたものではないが、僕はこれまで鈍才的に突っ走ってきて、そしてそれなりにかなり消耗してしまった。根拠なき自信に満ちあふれていたあの頃からすれば、脇腹や額やそこいら中に風穴がぽっかりあいてしまってる。社会に生きるというのは残酷である。その代償はあまりにも大き過ぎる。僕にとって、生きることはとてもとても難しいことである。

だからこそだろう。僕は自己表現をすることを始めた。のだと思う。それで何かが変わるのかは、100回を書き続けた今もまだ見えないのだけれど。



もちろん問題は何ひとつ解決してはいないし、語り終えた時点でもあるいは事態はまったく同じと
いうことになるかもしれない。結局のところ、文章を書くことは自己治療の手段ではなく、自己治療
へのささやかな試みにしか過ぎないからだ。

(村上春樹著『風の歌を聴け』講談社1979)※村上春樹のデビュー作です



そうかもしれない。語り終えてもやはり傷は癒されていないのかもしれない。いやそもそも傷を癒すほど語り尽くすなんて、そもそもできないのかもしれない。いやいや、もともと治癒されるべき本当の自分など、どこにも存在しないのかもしれない。それでもわが実存は叫び続ける。それを止めることはできない。

書くという能動的な試みの果てに、いつしか自分の身体をむしばむ風穴が塞がる「何か」を見つけることができればと思う。そういう儚い希望を抱いて、これからも強く書いていきたい。よ。

「書く」ということ
愛用のKBDとペンシル。これからもよろしくね。



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Posted by sky1973629 at 14:34│Comments(1)日常
この記事へのコメント
よんな〜よんな〜で良いのさ(^.^)☆ぽろりん☆もこのブログ書いてて
100回以上を越えましたが
まだまだ勉強不足です。

他人に言われて気付いた事がたくさんあります。

他人に言われなかったら気付かない。

言われて気付いて人って成長していくとぽろりんは思います。

書いて書いて人に今の自分の気持ちを伝えるって良い事なんじゃないかな〜

生意気言ってごめんなさい
でもこれがぽろりん自身思った事なのでコメントしましたよ(^.^)
Posted by ☆ぽろりん☆ at 2008年06月08日 12:17
 
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