2008年05月21日

午前2時つれづれ

こんな時間に起きている。だって、20時から寝てしまったから。


子育てをするようになって、こんな生活リズムのミスがよく起こ
る。すでに6時間ほど寝ているので、睡眠時間はもう十分なの
だが・・・、おそらく今日の朝はしんなりしてて、夕刻にはもう立
っていられないほどぐったりの、茹でたもやし君となる。


「ええい!」と初志貫徹で朝まで寝てしまえばいいのだけれど、
今日の授業の教材研究という強迫観念が覚醒剤となって睡眠
を妨げる。もう教員になって5年目。そろそろこの呪縛を解錠しな
ければ、いずれメンタルに支障をきたす。はず(>_<)



内田樹さんの昨日のブログが気になって、何度も読み返してる。
(「X氏の生活と意見」http://blog.tatsuru.com/

どこにひっかかっているのか、と言うと、モーリスブランショの件。



ある言葉が人に届くためには、それが「二人の人間によって語られていることが必要である」
私と「私と名乗る他者」によって、同じ一つの言葉は二度語られなければならない。
どうしてそれが必要なのか。
「どうやって他者に届く言葉を書くか」について長い時間考究したことのある人なら、理屈はわからなくても、ブランショの言葉は実感として深く身にしみるはずである。

(cf.http://blog.tatsuru.com/2008/05/19_1253.php#comments)
※しかし、コメント欄荒れてるな~



「どうやって他者に届く言葉を書くか」というのは、社会的な問
いである。一人称ではなく、三人称で自己を語る。自己言及。
自己言及を行うことで、僕らは他者の視点を自己に取り込み、
他者なる自己として、社会的な存在として現前することが可能
となる・・・・のだろうか。永井均さんや東浩紀さんの著書を想い
出す。

なぜ僕らはおとなになるのだろう。
なぜ僕らは社会的な存在になったのだろう。
とりわけ僕は、なぜ社会的なことを考えるようになったのだろ。
独りよがりな一人称の人間だったはずなのに・・・。

往事から問いが湧いて溢れ出す。

とっさに、モーリスブランショの本を注文し始め、あの本、この
本を読み始めようとする。



おっと。僕は担任。教材研究なのよ。優先は。
今日の課題は・・・、
①だれでも分かる小数のかけ算の授業(レベルは下げず巻き込む授業)
②「サクラソウとトラマルハナバチ」の説明文の授業構成
③農業に携わる人の喜びと苦悩をどう伝えるか



それが終わったら読もう。まずは永井均『〈私〉の存在の比類な
さ』、東浩紀『存在論的、郵便的』あたりかな。そこに今、僕が
求めていることが何かありそうな・・・予感。勉強不足の僕です。
もっとダイレクトに繋がるような著書があれば、どなたか教えて
いただけませんか。




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Posted by sky1973629 at 02:44│Comments(1)日常
この記事へのコメント
私も子どもと寝てしまい、慌てて起き出すけど・・
せいきさんと違うのは、初心貫徹?でまた
寝てしまうんだよねー・・・(反省)
教材研究もすごいけど、そのあとに本を読むってとこが
あなたらしい・・・☆☆☆

今日の夜、私の中途半端な原稿を送信しますので、
優先にお願いね(笑)
小学生にでもわかる文章で手直しよろしく~!
Posted by ハッピーあや at 2008年05月22日 12:20
 
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