2008年03月23日

べりべりべり(ブログ再開)

もちろん問題は何ひとつ解決してはいないし、語り終えた時
点でもあるいは事態は全く同じということになるかもしれない。
結局のところ、文章を書くことは自己療養の手段ではなく、自
己療養へのささやかな試みにしか過ぎないからだ。

村上春樹『風の歌を聴け』(講談社1979)



年度末のすべての事務処理が完遂した(イエイ)。
ので、ブログを再開する。と言っても、もうとうに解錠しているけど。


一応、ブログ開封に際して自己紹介をしようと思う。


僕がこのしょーもないブログを始めたのは他でもない。僕が自足
している僕自身の在り方を揺さぶってやろうと思ったから。

僕は教員という職に就いてから、その初日からずーっとずーっと
「教員を辞めたい」と思っていた。その思いは日増しに強くなり、
去年の夏頃ピークを迎えた。教員も4年目に入り、ずいぶん子ど
もたちにも同僚にも、そして独特の教員文化にも慣れ始めた頃
のこと。



でもね、思ったの。
僕は他のどんなステキな仕事にありついたって「辞めたい」って
思うはずだと、さ。だって、これまでも実にいろいろな職に携わっ
てきたけれど、結局どれも「辞めたい」と思って辞めてきたのだか
ら、さ。

これはあくまで実感のレベルであり、その理由を今ここで明白に
することは、僕の度量上不可能であるのだけど。それでもそう感
じてしまって、僕は改めて自分で自分にショックを受けた。

でも少し論を展開すれば、僕がなぜ辞めたくなるのか・・・という
その理由の大きな一つに、僕は僕という存在にこだわり過ぎて
いる、というのが確実にある。


コメスセイキという職業があればベスト、ということである。


まったくもってバカげているけど、そのバカがコメスセイキ、それ
なのである。こんなに自分大好きな人間は他にはいない。はず。
だから、あらゆる社会的なものごとが億劫なのである。そんでも
って仕事は必ず辞めたくなる・・・のではないかと思ってる。


という論理で考えていくと、やはり今後、人並みに幸せに生きて
いくためには変化が不可欠である。誰が。僕、コメスセイキが。


そういうことをあーでもないこーでもないと考えたあげく、この自分
に満足している自分を変えるべく、僕はブログを始めたのである。
自分を開けっぴろげにしちゃって、この堅物のアイデンティティを解
錠してさ、公然(おおやけぜん)とすることで、他者という異物を混
入させ動揺させてみようと考えたのである。

だから、僕には今のところ、性的なそれ以外には(それは恥ずかし
いので、それは相手があることなので)、ほとんど隠すことがない
という状態に陥っている。


「何でもかんでも書けてお気楽ね」という声がする。
これが良いことなのか悪いことなのか、僕には判別がつかない。
ただ、「お気楽」ではまったくない。のよ。君。



でもとにかく、何か喋ろう。自分について何か喋ることから全てが
始まる。それがまず第一歩なのだ。正しいか正しくないかは、あ
とでまた判断すればいい。僕自身が判断してもいいし、別の誰か
が判断してもいい。いずれにせよ、今は語るべき時なのだ。そし
て僕も語ることを覚えなくてはならない。

村上春樹『ダンス・ダンス・ダンス』(講談社1988)










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Posted by sky1973629 at 23:50│Comments(0)日常
 
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