2008年03月04日

メメントモリ

メメント・モリ


ついさっき、歩道に倒れ込んだ人を見かけた。
仰向けにバタン、と。60代かな。
何か配りものをしていた最中だったようだ。
かばんの中身から、何かの冊子が散乱していた。


たまたま人通りがあり、4人の人間が駆け寄った。
僕もその1人だった。


口から泡を吹きうめくその男性は、
僕らの呼びかけにもまったく応じず、
次第に弛緩状態に陥った。つまり、筋肉がゆるんだ状態。

眼は半分見開いたまま、口は半開きのまま、
手はとても冷たく、まるで地面に吸い込まれていくような状態
だった。顔はみるみるうちに紫色に変色していく。


チアノーゼを察知した僕たちは、心肺蘇生を試みようとした。
その瞬間・・・・・大きなイビキが始まった。
まったく生気のない身体から響く、地響きのようなイビキ。
心肺蘇生など、まったくできなくなってしまった。
彼の身体で、今何が誤作動を起こしているのかが分からない。
まったく分からなかった。

混乱した4人のだれもが、救急車の到着をそわそわと
待ち始めた。まだかまだかまだなのか。

たぶんみんな、その場から離れたかったんだろうな。
その現実から。
1人2人と「救急車を誘導してくる!!」と言い放ち、
その場から去っていった。

とうとう僕と彼だけになった。

彼のいびきを命の手綱のようにしっかりと聞き取りながら、彼の
肩をただただ叩き続けた。声もかけられない。何も考えられない。


何分経ったのだろう、救急車がやってきて、
あっという間に彼を運んでいってしまった。
1人が、彼の散乱した冊子を集めて救急車に走って手渡した。

その後、僕たちはあいさつもかわさず、なんとなく無言で別れた。
僕だけではないのだろうな。誰もが感じたんだろうな。


メメント・モリ


死という運命の前で僕は本当に無力だった。
まだ与えられているこの僕の手の温もりの有り難さ(あり・がたさ)
を、切なく思う。

ご冥福を心よりお祈りする。





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Posted by sky1973629 at 22:47│Comments(2)日常
この記事へのコメント
壮絶。

日々ニュースから流れる死のニュース。
事故、天災、テロ、戦争、自殺。

いつでも僕らの側にある死。

実は毎日の生きていられる事自体が
命拾いであるのではないか。

コメスの文章を、PC画面を眺めながら
しばらく動けないでいます。

この動けない、動かない思考もまた無力なんだろうな。
Posted by みやじまみやじま at 2008年03月05日 01:39
そうなんだと思う。うん。

運命の壁の前で、人はただひたすらその運命に揺さぶられる
しかないのだな、とつくづく思う、今日です。

なお、昨日の件は、君ん家のすぐ近くです(ごめんなさいね、
内輪ネタで)。

死はすぐそこに、いつもフタを開けて待っている、と村上春樹
が『神の子どもたちはみな踊る』でさらっと書いていた。

どう死ぬか、よりも、
今日、どう生きるかが問われてるね、まったく。
Posted by コメスセイキ at 2008年03月05日 16:22
 
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