原点?原典?古典?に還る
忙(せわ)しさも飽和状態に達すると、虚無が頭をもたげる。
目指すべきところが霞む。なぜ歩き続けるのか訳が分かんなくなる。
元の気を取り戻さなきゃ。
いやいや、元なんていう戻るべき場所よりもね、新たな拠り所を見つけ出して、
何より平静を取り戻さなきゃ。歩み進む意義を作り出さなきゃな。
こういう時、どっしりした古典みたいなものを読む。そういうものは流れる時間
がコンテンポラリーなそれよりも、明らかにゆったりしてる。だからこそ落ち着く。
落ち着いたとき、自分のやるべきことが少し見えたような気分になる。だから
読む。
夕べより、本棚から引っ張り出して読んでるのはこれ。
はま先生。やっぱ流れてる時間がずいぶんと違う。文章はこう始まる。
子どもを知るということ、子ども自身より深く知るということ、親をも越えて子ども
を知るということ、これがまず教師として第一のことでしょう。
大村はま著『新編 教室をいきいきと』(ちくま学芸文庫1994)
業界常套句の「児童理解」という言葉をはま先生は使わない。そこに心理学やカウ
ンセリング学などに傾倒しない現場教育者の信念を見る。親や、そして何よりも子ど
も本人をも凌駕して「知る」という意欲的態度に、教育者の責任と誇りを感じる。
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