師と親の間
年下の同僚からメールが入る。
「赤白帽たくさん持ってますか?運動会で忘れた子に貸せたいのだけれど・・・」
何を隠そう、僕は赤白帽をたくさん持っている。
4年間も生徒指導主任をして、拾得物係までやっているからである。半年間持ち主が現れない無記名赤白帽や体育着を、僕はきちんと洗濯をして、柔軟剤をかけてストックしている。とりわけ赤白帽はもういくつ持っているか分からないくらいだ。
なぜそうやってストックするかというと、もちろん子どもたちに貸し出すため。時には差し上げるため。
子どもたちの中には、何度注意しても忘れ物を繰り返す子がいる。その悪しき習慣を直すのが私たちの仕事のひとつではあるが、僕は最終的には子どもたちにどんどん貸してやってる。
甘くないか?と言われたこともある。貸してしまうと反省しない!と先輩から半ば説教されたこともある。だから時に厳しく注意もするし、必要があれば親に連絡して協力してもらうこともある。でも、でも最終的に貸しちゃうのである。
そういう忘れ物常習犯の子って、たぶんこれまでもたくさんたくさん叱られてきている。それだけじゃない。忘れ物を繰り返すというのは、やはり家庭環境にも欠落した部分があるのじゃないかと思ってる。放任主義だとか自律主義だとか、よく分からないのだけれど、つまるところ、あまりかまわれていないんじゃないかなと思う。そういう子たちの顔を見るとき、僕はやっぱり「貸せてあげたい」と思う。「洗って返すんだよ」と言って手渡すときの、子どもたちのにっこりした顔がとても好きである。
僕に余分な帽子を持っているかとわざわざ問い合わせてきた同僚は、おそらく明日の運動会のことを考えていて、ふと、「あの子、明日忘れ物しそうだな」と思ったのだろう。そういうのを想像をしているとなぜか嬉しくなる。地味だけどきめの細かい優しさが、子どもたちをふんわりと包み込み、堅い絆を作っていくのだろうな・・・。そう思うし、そう思いたい。僕もがんばらなくちゃいかんな。もちろん、甘いだけではなくね。
机の左側にあるカゴの中には定規や赤鉛筆が、後ろの青い棚の中にはのりやはさみなどが、赤白帽と同じ理由でストックされてる。
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