人間らしく

sky1973629

2008年06月06日 01:09

やはり・・・逆でした。(>_<)
今週はかなり消耗している。何に。躾に。
それもこれも僕の不手際、不徳の致すところである。まいた種を必死で刈り込む。感動的な激変などあり得ない。子どもだって人間だもの。猛省しながら地味に闘う毎日である。


そんな中、嬉しいコメントをもらった。ありがとうございます。
はい。僕は人間らしく、僕らしく、その時々の僕らしく(くどいな)生きたいな、と常々思って生きている人間であります。だって、哀しいかな「正直」しか売り物がないからです。美辞麗句も並べられないし、わっしょいわっしょい持ち上げることもできませんし(僕はあまり先輩から好かれません。「やりにくい」と最近は言われました。ひぃー)、人目を引く希有な知性も持ち合わせていませんから。「凡人には正直を」。父母から教えられたことです。はい。

なので、「人間らしい」ですね、って言われると、ウキウキしてフワッと浮きます。
今、浮ついた状態で書いてます。


でもね、でもねなんですけど、
教育って、子育てって、バカ正直にはできないと思ってます。僕が正直者で子どもたちの前に現れると、コメスの斜な構えをすんなり受け入れたひねくれ小僧が出現してきます(笑・・・でもマジです。実証済みです)。子どもの段階で斜めな構えを身につけさせると、それはもうその子にとって不幸です。だって、素直に学ぶことができなくなるのですから。これは教育にとって見過ごすことのできない大きなことです。つまらないことかもしれませんが、未来ある子らには、やはりメインストリームでシンプルで健全な言説で向き合うべきだと思ってます(「健全」って言葉、嫌だな)。経験則なのでうまく表現できませんが、おとなである僕らの言葉を、そのまま子どもに向けてしまうのはやはりダメだと思ってます。彼らはその表層しか(つまり身構えしか)受け取りません。おとなが持っているような、内面の複雑さや豊穣さにはやはり気づくことはできません(もちろん、それに気づくことのできる子もいるとは思います。でもそれは限られた子ではないでしょうか)。


子どもを小さなおとなにせず、出来る限り子どものままで育てたい。この情報化社会、おとなぶるのは簡単。でもそうなってしまったら、そこで学びは鈍る。誰からでも素直に学べる柔軟な子どものままで小学校は卒業させてあげようよ。


鈍才ながらも(いや、鈍才だからか)反省を繰り返してきたコメスが、ここ最近、後輩に限らず先輩方にも嘯いていることです。

なので、僕はあくまで現場では冷静です(冷静でいようと思って心がけています)。嬉しいときや楽しいときは素直に喜びはしゃぎますが、「怒哀」についてはとりわけ注意しています。その結果、僕は現場では本気で怒ったことはありません(1年目は怒ってましたが、反省の結果、それ以後はその感情は強く抑えます)。ではコメスは怒らないのか??いえいえ、もちろん怒ります。でも、それはあくまで演技です。「これは演技である」と自分に言い聞かせながら、怒った人間を演じます。「次は何と言えば、より怒れる人間を表現できるか」と考えながら(マジです)、子どもを叱ります。「それは失礼だ」「それは人と人との向き合い方ではない」とおっしゃる方もいることでしょう。偽善だと。でもでも、それをコントロールして、よりよい言葉を子どもに投げかけるのが、やはり僕たちの仕事ではないかと思ってます(お金もらってますからね)。人は時に怒鳴られることも必要です(もちろん行為次第ですが)。こういうことをしたら人は怒るんだ、ということを、その怒鳴るという表現方法で伝えられるからです。それと同じように、人は褒められたり喜ばれたり、目の前ではしゃがれたりすることも必要ですよね。もちろん、それも演じます。ここは苦手分野ではありますが、叱るときよりもエネルギーを注いで取り組みます。


ということで、コメスは子どもの前ではバカ正直ではありません。つまり、ホントの喜怒哀楽は見せません。



でもでもでも(矛盾してますが)、やはりそれでも人間らしさは不可欠だと思います。これは単に願望なのかもしれません。でも、「背中で語る」ってありますよね。こういうことはオレは嬉しいんだ。こういうことはオレは悲しいんだ。こういうことはとても残念に思えてならないんだ・・・。子どもたちと一日8時間も過ごすのです。朝の時間や休み時間、授業中の脱線、放課後など、いろんな話しをします。こういう他愛のない話しの中に、やはりコメスの人間くささが臭うのではないかなって思ってます。そして、もちろん同時にいろいろな行動を共にします。コメスの足取りや振る舞いや表情を通して、やはりそれは伝えられているのではないかな、なんて思います。隣のクラスの先生に、毎年よく言われます。「○○君はやっぱりコメスのクラスだな」「えっ、何ですかそれ?」「行動が一緒!」「どんな?」「調子に乗り始めたら限度がない!無茶してる」とな。これをもって人間らしさと言うかは甚だ不安なのだけれど・・・。



とここまで書いて(おきながら)・・・、でもオレ、自分をコントロールできてるのかな?と書けば書くほど不安になってきています。部屋が片づけられないウフソーなコメスは、やはり隙が多いのです(>_<)。ということは、その隙間から、たくさんのおこぼれがあるはず・・・。ポタリポタリと。まあそれも人間性よな、なんてそんな簡単な言葉ではやはり片づけてはいけないのよな、なんてグルグル考えながら中途半端に終わることにします。あっ、25時!!反省しながら寝ることにします。


長く書きました。人間は浮つくとおしゃべりが長くなる。行動がくどくなる。周りを見なくなる。
長文乱文半端文失礼しました。(拝)

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