朝の会で「昭和の日」(って、このネーミング何なんだ?)の昨日、
何をしていたかをみんなに聞く。
県立博物館、公園、海、ジャスコ、サンエーなどなど出てくる。
みんな楽しい休日を過ごしたようである。
その後、僕の話し。
「先生、映画観に行ったよー!!」(僕)
「先生の長男が、映画観てみたい!!って言ったからさ」(僕)
「先生の子ども、映画観たことないばー」(男子)
「うん、だから生まれて初めて映画に行ったのですよ」(僕)
「何観たのー?」(みんな)
「クレヨンしんちゃん」(僕)
「え!?」(数名)
「金矛の勇者!!!」(僕)
「はー!!?」(たくさん)
ある子が言い出した。
「先生、あれ子どもに見せたらダメだぜー!!」
他の子も続いた。
「うちの母ちゃん、あれ絶対見せないぜー!」
さらに続く。
「あれみたら、アホになるってよー!」
最後におませさんの一撃。
「先生、学校の先生だったら見せないでしょ、フツー」
そういや、凛MMさんからのコメントにもあったな(コメントありがとね)。
「見せないようにしていた」ってさ。ヒー、ごめんなさい。
まあ、そりゃそうだわな。
クレヨンしんちゃんと言えば、子どもに見せたくないTV番組アニメ
部門で、数年間一位の座を他にゆずらなかった筋金入りですからね
(今はどうなってるんだろ)。
でもね、でもね、でもでもなんですよ。
おバカ映画は承知の上なんだけど、その中でしっかりと倫理が生
まれるの。倫理。エチカ。社会に生きる人としての在りうべき在り方。
ゲラゲラ笑っていたはずなのに・・・そろりと涙がこぼれる。
当たり前でどうしようもない彼らの毎日の中に、ふと時間の速度
がスローになる瞬間がある。当たり前に下世話に生きてるから
こそ、わずかな勇気や努力や優しさが照射される一瞬がある。
それって、まさに僕たちの生きる世界そのものではないのだろうか。
クレヨンしんちゃんには、そうやってわしづかみにされる瞬間が込め
られているように思う(と言っても、これまで3作品ほどしか観ていな
いのだが・・・)。
当たり前の日常の中に、掛け替えのないものがあることを、クレヨン
しんちゃん(の特に劇場版)は教えてくれる、ように僕には思える。
道徳的な目的の下に、道徳的に作られる映画(ホタルのやつなど)
より、よっぽどよっぽど道徳的である。と僕には思える。
何だか真面目に語っちまった。
それもこれも、君ら(僕のクラスの子)がダメだしをするからだぜ。
最後にやんちゃが言う。
「先生-!学校でもクレヨンしんちゃん観ようぜ!」(やんちゃ君)
「その前に勉強せい!!」(僕)
ちゃんちゃん