ケイチツ・カンワキューダイ(みんなで子どもを育てるのよ)

sky1973629

2008年03月01日 08:41

オフレコであるが、
僕は地域にある某学習塾の先生と、秘密裏に情報交換を
している。それもかなり具体的に。


むろん、こちらは職務上の守秘義務というものがあり、あち
らは父母子との信頼関係で契約が成立している手前、それ
をうまくかわしつつ、の情報交換である。


でも、うちの37名の子のうちの、何名かがそこの学習塾の
お世話になっているので、けっこうネタは具体的である。だ
から、子どもたちにも親にもその交流について、そしてそこ
から得た情報について、口外したことはない。お互い、その
約束である。


でも、僕はこのことを、悪いことだとは思っていない。という
よりも、お互いに自分の職務を自覚し、「子どもを育てる」と
いう常識的な見識さえわきまえていれば、このような情報交
換はもっと積極的に、それも公然にやるべきだと思っている。



率直に言って、僕たちの仕事は、そろばんや公文や学研や、
その他諸々の学習塾の努力があって円滑に進んでいる。お
そらく、その事実をどこの誰も拒むことはできないのではない
か、と思ってる。

もちろん、僕は僕の授業と、地味な家庭学習の継続で、その
子の学力が保証されることを企図して、授業を組み立ててい
るつもりである。その自負を妄想としないためにも、週末、わ
が息子らを捨ててでも、TOSSサークルに通い、模擬授業を
繰り返し、技量検定試験も受けているのである。それは、僕
たち公教育に携わるものの、常識的な態度である。納税者へ
の義務であり、与えられた使命である。


しかし、だがしかしなのである。そうは言えども40名近くの子
らを抱える手前、学習塾に通う子の存在は、われわれにとって
希望の光である。何よりも授業が円滑に進み、活性化され、新
たな展開への動因ともなるのである、彼らの存在が。しかるに、
結果論として、僕は学習塾にお世話になっているのである。


というふうに考えれば、僕らは実はチームになるべきなのであ
る。お互いに支え合うというチーム。


うちの子どもたちが、全体的にこういう学習内容が弱い、という
事実をお互いに確認できれば、双方からその手当てを意識的
に行うことができる。単純計算で、効果は2倍なのである(その
塾に通ってる子はね)。
また、こちらはここはできてると思っていても、あちらは「案外で
きてませんよ」と言えば、それは反省材料ともなる。もちろん、
そういう点は、公教育教師のプライドとして、手当てする。それ
は向こうだって同様である。塾講としてのプライドで手当てする
だろう。


どうです?こんな良いことってないんじゃないでしょうか?子ども
にとって。親にとって。ね。
僕らは決して、敵ではない、と僕は強く思う(もちろん、敵となら
ざるを得ない塾講というのは世にごまんといますが)。


子らを金づるや自らの栄光の材料とみなすならば、もちろん僕ら
は敵同士である。永遠のカタキである。
でも、子らを「育てる」という対象でみる、教育的常識を共有でき
るのならば、僕らは同志なのである。


どうでしょ。こんな考え。
間違っていれば、ぜひご教示願います。
(また、クビに近くなったかもと、チムドンドンドン)


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