コープで働くみなさんが誹謗中傷の的となっている。
中国ギョーザのことで虐められてるようだ。
沖縄でも起こるんだな、こんなこと。
いやいや、沖縄だから起こる・・・のかもしれん。
僕はコープに知り合いがいることはないけど、そしてコープの売りである「安心」
に引き寄せられてかなりディープな組合員であるけれど、もちろん、今回のこと
で「コープさんよー!」と思ったのは確かでもあるのだけれど、
こんなことやって何の解決になるのだろうか・・・と思わずにいられない。
この件はもちろん不安に感じてるが、それよりもそれ以上に、コープのみなさん
に罵詈雑言をぶつけ、配達者に投石し、「もうコープなんてブッつぶれろ!」と
「マジで」喚いて溜飲を下げる人々の方が心配でしょうがない。
その行為は、まさに今回の事件に関与した犯人の方々と「まったく」同様のも
のですよ(事件として扱ってるのは、あくまで可能性です)。
他を罰することばかり考えている人間の行為。
コープは、「安心」を売り物にしてきた。今回このようなことになってしまい、残念
な思いでいっぱいだけど、これまでのコープの取り組みは、日々商品ごしに見て
いる限り、非常に真摯なものだったように思う。
それなのに、コープはそのような商品を、かなり良心的に僕たちに提供してくれて
いる(と思う)。何なら、似たようなコンセプトでやっているアニューに入ってみるとい
い。コープの庶民に対する営業努力が感じられるはずである(もちろんアニューは
もっともっと厳しい基準で商品展開をしてはいるけど)。つまり、
コープは安い!
のである。
ということは、僕たちはコープから結構な利益を得ている。コープのおかげで得を
している部分が確実にあるのだ。
利を得るということは、その一方でリスクを背負うことである。金を稼ぐというのは、
自分の何かを差し出さなければいけないという掟である。消費者として利を得ると
きにも、同様のリスクは必ずある。それが掟というもの。
そもそも、自分が作ったものではないものを、お金という紙切れを使って交換する
という行為からして、購買そのものにリスクは不可欠である(そのリスクを背負い
たくないのなら、自給自足すべきである)。
もちろん僕は、毒入りキャラメルも毒入りギョーザ食べたくはない。でも、それがも
う誰にも止められないレベルのものであったのならば、病院には連れていってもら
いたいが、それ以上は、僕は黙るしかないと思っている。衣食住を人に依存する
者のリスクとして。
繊細な議論だと思う。異論も山ほどあるのだろう。被害者のことを考えると、とても
不憫にも思う。でもでも、自己のリスクを棚上げにし、他人を罰することばかりに夢
中になる社会は、かなり息苦しいよ。その刃はいずれ自分に襲いかかることにな
る。そんなことに怯えて過ごすなんてまっぴらだ。
イマジン
想像力を持つとき、人は優しくなれる。
自分が優しくしてもらうように、人に優しくなれる。
イマジン