生き続けるための代償(大げさね)

sky1973629

2008年02月05日 22:05

このブログがなぜ「鈍才日記」なのかといえば、それは単純。
僕が「鈍才」だからである。悲しいけど他意はない。

でもね、なぜか知らないけれど、仕事での僕の評価は悪いものではない。
中には「できる!」と言ってくれる優しい人もいる。

が、それ明らかに勘違いである。もしくは、鈍才に見られないようにしよう、しようと努力する
僕の術に、なぜかはまってるのである。酔眼朦朧の術。

もちろん、鈍才には鈍才なりの、涙ぐましい努力はある。
鈍才というのは、一重に「呑み込みが悪い」のである。
だから、みんながあっさり呑み込んでしまうものにつっかえ、咳き込み、時として嘔吐にまで
至るのである。これは比喩ではない。事実である。

そこでこういう手順を挿入するのである。
呑み込まなければならないものを、分析し解析して、細切りにし千切りにして、蒸し押しつぶ
して、呑みやすくしてしまう・・・・そして頭の中でおいしいものを想像しながら「ええぃ」と呑ん
じゃう・・・・。以上。

もちろん、これは比喩です。ただし、抽象的に言うとすれば、本当にこんな感じ。不甲斐ない
けど、ここまでやらないと呑めないものが今世、結構あります。だから、僕が本を読むのも、
休み返上で勉強会に通うのも、毎日脅迫的に教材研究をするのも、言ってみれば、この社会
や、与えられたキャリアと折り合いをつけ、仲良くやっていくためのいわば「社会化」作業なの
です。そうやらないと、もうストップしてしまうのです。悲しいのですが。
きっと甘やかされて育ったんだろうなぁ。末っ子だし・・・。

こういうこと改めて書くと、またふらふらーっと彼岸へ行きそうなので(笑)押しとどめます。


「俺はこれまでできることなら十七や十八のままでいたいと思っていた。でも今はそうは思わ
ない。俺はもう十代の少年じゃないんだよ。俺は責任というものを感じるんだ。なあキズキ、
俺はもうお前と一緒にいた頃の俺じゃないだよ。俺はもう二十歳になったんだよ。そして俺は
生きつづけるための代償をきちっと払わなきゃならないんだよ」
(村上春樹著『ノルウェーの森(下)』講談社/pp.179-180)


村上春樹さん、押しとどめてくれてありがとう。
生きるための「代償」。そう、それが僕のささやかだけど涙ぐましい努力なのであります。
コメスは今年35歳(T_T)。

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